人気ブログランキング |

短いようで長く感じた二ヶ月間

二ヶ月近く、イギリスに夫を残し、
日本に一時帰国していたが、
その間結構目まぐるしく様々な事が起きた。

私がイギリスを去った直後、
英国会庶民院は突如解散し、
急遽前倒し総選挙が行われることになったし、
マンチェスターでは悲惨なテロが起きた。
(更に、イギリスに帰る飛行機に乗っている間に、
もう一件ロンドンでテロが起きた)

個人的には、夫が転職した。
これは、私が帰国する直前に決定したことなのだが、
もしそうと知っていれば、
夫の生活が一変する落ち着かない時期には、
一緒に居てやるべきだったと思う。
それと、愛猫ポコが病気になり、
夫は獣医に連れて行った(…すぐに元気になったが)。

しかし、どんな事よりも一大事だったのは、
義父が亡くなったことだ。

私がイギリスを離れる時には、
義父は、心臓等の幾つかの不調はあるものの、
普通に家で生活していて、
まさかこんなに急に亡くなるとは思わなかった。

日本に到着してほんの数日後、
義父が癲癇のような発作を起こして、
数分間意識不明になったと、夫から連絡が入った。

すぐに近くの大学病院の緊急病棟に行ったが、
はっきりした原因は突き止められず、
多分老人性の癲癇だろうと言われて、
治療もなく、薬も渡されずに家に帰された。

しかし、その数日後も発作を繰り返すようになり、
精密検査の為に、その大学病院に入院することとなった。

癲癇の発作であれば、車の運転はもう出来ないので、
義父はひどく落ち込んでいた。

数人の医師が代わる代わる診療に当たったが、
原因は突き止められないまま、一週間ほど過ぎた。
脳波を調べたが、癲癇ではなかった。

結局、入院して一週間以上経った時に、
腎臓が全く機能していないことが判明した。
既に濾過されない毒素が体中の血液に混じり、
昨冬亡くなった愛猫とらじと同じ状態だった。
心臓も相当弱っており、余命数日と言われた。

義父は食べ物を全く受け付けなくなり、
意識も時々途切れる状態が続いたので、
夫の家族は付き切りで病院に待機していた。

しかし最期の日には、義父の意識ははっきりしていて、
スープやヨーグルトを口にし、家族と会話もし、
少し様態が安定して見えた。
それで、夫の家族は一時帰宅したのだが、
その僅かの間に、義父は大きな心臓発作を起こし、
危篤状態となった。
急遽病院から連絡を受け、家族全員駆け付けた時には、
家から車で数分程度の病院なのに、
義父は既に息絶えていた。
丁度、義父の妹である、夫の叔母の死から、
5ヵ月後のことだった。

前にも書いたが、イギリスでは、死亡から葬式まで
大抵2週間から20日程の間があるのだが、
私は葬式にすら出られなかった。
丁度ゴールデンウィークの飛行機の一番忙しい時期で、
例え空席が取れたとしても、チケット代が馬鹿高いからと、
夫が、予定を切り上げてまで、
急遽イギリスに帰って来る必要はないと言ったのだ。

義父は、生前あんなに私に親切にしてくれたのに、
私は最後のお別れも出来なかった。
日本であれば、信じられない薄情な嫁だが、
イギリスに戻って義母に謝ったら、
「何も謝ることはないのよ~」と暖かく迎えてくれた。

自分の夫が辛い多忙な時に、
側に居てやる事が出来なかったのも後ろめたい。

ただ、夫も夫の家族も、
6年前の義父の大きな心臓手術以来、
ある程度覚悟はしていたようで、寂しくはあるものの、
それ程ショックは大きくなかったようである。

それに、本当は夫は、最後の最後まで、
私と一緒に日本へ行くことを諦めなかった。
しかし、結局は日本へは行けず、
イギリスに残っていたことが、正解になった。
義父と最後の数日間を過ごせ、
死後の面倒な手続き等も含め、
義母を支える事が出来たのが、せめてもだと思う。

葬式にも出席しなかった私は、
義父がもうこの世に居ない事を
実感することが中々出来ない。
死後も、義父への日本のお土産は何にしよう?とか、
父の日のプレゼントは…などと
つい考えてしまっていた。

義父は、主張の少ない大人しい人だったが、
実直で責任感が強かった。
こんなに突然のお別れは寂しいが、
介護で家族にほとんど苦労を掛けることなく、
立派な最期だったとも言える。
旅立つ時は家族が立ち会えなかったけど、
幸せな一生だったと、皆確信している。
今となっては、義父の魂が
安らに眠っていることを祈るしかない。





by piyoyonyonyon | 2017-07-01 15:03


<< 親の死に目 もてない男の臭い >>